医学部ウォーカー第109号(6月19日発行)に当救命救急センター長 花田教授によるDMAT活動報告が掲載されました。以下にダイジェストをご紹介いたします。
DMAT活動報告のダイジェスト
地震発生と初動対応
- 発生日時: 令和6年1月1日
- 震源地: 能登半島
- 震度: 震度7以上
- 初動対応: DMATは自動待機基準に基づき、全国のDMATが自動待機となり、弘前大学救命センターでも準備が開始されました。
派遣要請と活動内容
- 派遣要請: 中部から近畿地域を中心にDMATの出動要請が行われ、北東北地域のDMATにも派遣要請が出されました。
- 活動期間: 1月6日から1月27日まで
- 派遣先: 珠洲市総合病院
- 活動内容: 医療支援: 珠洲市総合病院でのER支援、病棟支援、患者搬送支援
ロジスティクス支援: 病院指揮所本部でのロジスティクス支援(広域搬送患者管理など)
活動の詳細
- 初回チーム構成: 医師2名、看護師2名、ロジスティクス担当4名の計8名
- 移動手段: 東北自動車道から磐越、北陸道を経由し、能登総合病院を経て珠洲市総合病院に到着
- 活動の重点: 現地の医療機関の維持、患者移送による病院規模の縮小と維持
活動の成果と課題
- 成果: 患者移送や病院支援を通じて、現地医療機関の機能維持に貢献
- 課題: ロジスティクスの重要性が高まり、専門チームの形成が必要
継続的な活動
- 1月16日から27日まで: 継続的にチームを派遣し、救急車を現地に置き、人員は新幹線で移動するシステムを採用
総括:災害時におけるDMATの迅速かつ効果的な対応の重要性を示されるとともに、今後の課題としてロジスティクスの強化が望まれました。以下に本文抜粋を掲載いたします。PDF紙面も是非ご一読ください。
本文抜粋
令和六年一月一日は能登半島地震で始まった。DMATは自動待機基準が定められており、震度七以上で大津波警報が出された場合は全国のDMATが自動待機となる。弘前大学でも救命センター地下で準備を始めた。志賀原発でも震度五.五以上であったため、原子力災害医療派遣チームにも待機要請が出された(翌日解除)。中部から近畿地域中心にDMAT出動要請が行われたが、三日から雪が積もり、雪でも活動可能な北東北地域のDMATに六日派遣要請が出された。このころには被害が当初予想よりひどく、建物の倒壊や道路の寸断、電気・水道などライフラインの断絶が明らかになっていた。
六日に救命センター地下で準備が再度行われ、人選とその間の勤務調整、食料の調達(病院給食から非常食の提供をいただきました)を行い、翌日珠洲市総合病院へ日没までに集合という派遣要請に備えた。七日午前三時に出発した弘大DMAT二隊八名(Dr二名伊藤、長谷川、Ns.二名上原子、工藤、Lo.四名熊澤、花田、加藤、辻口;長距離運転やその後の活動を考えて人選)車二台は大雪警報を意識して、東北自動車道から磐越、北陸道を通り能登総合病院を経て日没前に珠洲市総合病院に到着した。Dr二名は八日夜から当直対応、Ns.二名は八日夕方からER支援→九日病棟支援を、Lo.四名は病院指揮所本部ロジ支援(クロノロ、広域搬送患者管理など)を行った。
「瓦礫の下の医療」といった、急性期の現場救急医療が主体で始まった日本DMAT活動は東日本大震災、熊本地震、その後の繰り返す洪水などを経て、現地の医療機関をいかに維持するかということに重点が移ってきている。患者移送により病院規模を縮小させて維持するなどの活動を行うが、そのためには調整が大切で、ロジスティクスの重要性が高まり、ロジスティクス専門チームも形成されるに至っている。弘大のチーム構成はこのような活動を意識してなされた。
九日に珠洲から金沢へ患者を搬送して、第一次隊の活動は終了した。その後十三日に東北地区全体にチーム派遣要請があり、弘前大は1/16(火)-27(水)まで継続的に活動を行った。病院救急車を現地に置き、人は新幹線で移動することとした。
・ 1/16(火)-17(水)救急車輸送部隊(花田昌吾&北村隆雄)→救急車を金沢市へ。
・ 1/16(火)-19(金)第一隊(伊藤隊)→今回も珠洲市で活動。高齢者搬送支援。
・ 1/18(木)-22(月)第二隊(長谷川隊)→SzCU(珠洲Care Unit)で活動。搬送支援。
・ 1/20(土)-24(水)第三隊(奈良岡隊)→SzCU(珠洲Care Unit)で活動。搬送支援。
・ 1/22(月)-27(土)第四隊(横田隊)→珠洲市総合病院支援指揮所の本部長として活動
・ 1/26(金)-27(土)救急車輸送部隊(花田昌吾&北村隆雄)→金沢市から救急車回収。
活動内容の詳細については救命センターホームページ(https://emergency-hirosaki.com/tag/dmat能登半島地震/)を参照いただきたい。走行距離が三十万Kmを超えようとする病院救急車(弘前消防から移譲され十年)がいつダメになるか心配しながらの活動だったが、ロジ担当者の巧みな運転でパンクすることもなく、種々のミッションをこなしてきた。弘前大学医学部附属病院のロゴを見て、弘前大出身の方から声をかけられて感謝されたこともあった。院内外で協力いただいた方々にお礼申し上げるとともに、被災地域の復興と被災者の方々のご健康をお祈り申し上げます。