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孤立想定した医療提供体制を 「地域だけで命守れるか」【東奥日報】

【メディア情報】3月1日東奥日報紙に伊藤教授のインタビュー記事が掲載されました!

 弘前大学災害・被ばく医療教育センターの伊藤勝博教授は、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として、東日本大震災や能登半島地震、青森県東方沖地震発生時に出動してきた。現場で突きつけられたのは「交通が遮断され孤立した場合、地域だけで命を守れるか」という課題だった。広い半島、冬季の降雪、原子力施設立地といった青森県特有の地形や環境を踏まえ、伊藤教授は、救急医療の連携体制構築の必要性を訴える。

 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日、伊藤教授はDMATとして、弘大病院の他の医療スタッフとともに岩手県宮古市へ向かった。そこで千鶏地区が、隣接地区との交通が断たれ孤立していることを知る。医師もおらず、医療を提供できていないという。自衛隊ヘリで降り立った先には、津波によってえぐられた集落が広がっていた。高台の小学校にも波が迫り、多くの住民が犠牲となっていた。処置を必要とする住民がバスで待機していたが、医薬品や医療機器が不足。拠点病院への移動手段もなく、その場で応急処置を施すしかなかった。交通遮断下で地域医療が機能不全に陥る現実を目の当たりにした。

バスで待機する岩手県宮古市千鶏地区の住民の診療に当たる伊藤教授(右)と花田裕之・弘大高度救命救急センター長(左)=2011年3月15日

 2024年1月1日、能登半島地震が発生。大雪警報が出されている中、石川県珠洲市への出動要請が出された。七尾市から珠洲へ向かったが、道路には亀裂が走り、倒壊家屋がはみ出す悪路の中、到着まで車で約7時間を要した。重症患者を金沢市へ陸路搬送するのは困難な状態で、搬送の遅れは致命的になりかねない状況だった。長期断水の下で医療機関が診療を維持する困難さや、避難所での感染症対策の重要性も浮き彫りになった。

能登半島地震発生後、石川県七尾市から珠洲市に向かう青森県DMAT。倒壊家屋が道路にはみ出るなどしていたため慎重な運転を強いられた=2024年1月8日、能登町

 25年12月の青森県東方沖地震では、むつ総合病院(むつ市)で入院患者の転院支援に奔走した。青森県の下北半島は、原子力関連施設を抱え、冬季は大雪や吹雪に見舞われる。道路が遮断され、原子力災害が重なった場合どうなるのか。

 「災害拠点病院任せでは限界がある」と伊藤教授。地域の病院が危機感を持ち、人材と機能を底上げすることが不可欠という。現在、弘前大は災害支援医療従事者養成講座を開催し、むつ総合病院からも多くの医療関係者が受講している。顔の見える関係づくりを進め、LINE(ライン)などで即応できるネットワーク構築に取り組む。「災害発生直後、外からの支援がすぐに届くとは限らない。だからこそ、地域の災害対応力を上げ、地域で完結できる医療体制を築くことが、命を守る鍵となる」。現場での経験を踏まえ伊藤教授は語った。(注:リンク・太字は当編集部)

菊谷賢 記者

(東奥日報社提供)
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