日常診療で遭遇する機会が非常に多い「咳嗽」ですが、その管理、特に慢性咳嗽の評価にはガイドラインに基づいた詳細なアプローチが求められます。NEJMの最新レビューをもとに鎮咳薬の特徴を整理し、臨床現場で迷わないためのポイントを解説します。
1. 慢性咳嗽の定義と病態生理
咳嗽は持続期間によって、3週間未満の「急性」、3〜8週間の「遷延性」、そして8週間以上の「慢性」に分類されます。8週間という基準は、感染後咳嗽の多くがこの期間内に消失すること、および咳嗽に伴う合併症のリスクを軽減するために遅滞ない評価が必要であることに基づいています。
咳嗽反射は、主に肺を支配する迷走神経(Aδ線維およびC線維)P2X3受容体などが感知することで信号が伝達されます。近年では、慢性咳嗽の背景として、通常では咳嗽を起こさないような低レベルの刺激に対しても反応してしまう「咳過敏症候群(Cough Hypersensitivity Syndrome)」という概念が重要視されています。
2. 鑑別診断:胸部X線が正常でも油断しない
日本における慢性咳嗽の主な原因は、上気道咳嗽症候群(UACS)、咳嗽喘息、アトピー咳嗽、副鼻腔気管支症候群などが報告されています。特にUACSは近年最も頻度が高いとされ、胃食道逆流症(GERD)は治療抵抗性の一因となります。
臨床上の重要ポイント:
• 画像診断の限界: 胸部X線やCTが正常であっても、腫瘍や肉芽性病変、気管支内膜結核などを見落とさないよう、必要に応じて気管支鏡検査で上気道から末梢気道まで評価することが推奨されます。
• 問診の活用: 喀痰の有無(湿性か乾性か)、発生時間帯(夜間、食事中、起床時など)を確認します。ただし、成人において咳嗽の音や特徴(犬吠様など)だけで原因を特定することは困難である点に注意が必要です。
3. 鎮咳薬の選択と特徴
原因疾患の治療が原則ですが、症状緩和のために鎮咳薬が併用されます。
• 非麻薬性鎮咳薬: デキストロメトルファン、クロペラスチン、チペピジンなどが一般的です。
• 麻薬性鎮咳薬: コデイン、ジヒドロコデインは強力ですが、便秘などの副作用に注意が必要です。特にコデイン錠20mgは直径5mmと非常に小さく、全身状態が不良な患者でも服用しやすいという利点があります。
新規メカニズム:P2X3受容体拮抗薬
2022年に発売されたゲーファピキサント(GEF)は、咳過敏に関与するP2X3受容体を標的とした新しい機序の薬剤です。
• エビデンス: 試験ではプラセボと比較して有意な咳回数の減少が示され、日本や欧州で承認されました。
• 注意点: 一方で、味覚障害の発現頻度が高く、米国(FDA)ではプラセボに対する有効性が限定的であるとして承認が見送られた経緯があります。
4. 「難治性・原因不明」と診断する前に
ガイドラインに従った徹底的な評価を行っても改善しない場合、初めて「難治性慢性咳嗽」や「原因不明の慢性咳嗽」と診断されます。
再考すべきチェックリスト:
1. 診断の妥当性: GERDの治療(酸抑制療法)は十分か、吸入薬が逆に咳を誘発していないかを確認します。
2. 真の原因不明は少ない: 統計によれば、厳密な評価を行った場合、真に原因不明なケースは約10%に過ぎないとされています。
3. 非薬物療法の検討: 難治性の場合、多角的言語療法(スピーチセラピー)や、ガバペンチンなどの神経修飾薬の検討も選択肢に上がります。
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慢性咳嗽の管理は、「火災報知器の感度調整」に似ています。まず、どこかで火(UACSや喘息などの炎症)が出ていないかを徹底的に探すことが先決です。しかし、火が消えても報知器が鳴り止まない場合、それは報知器自体(神経系)の感度が上がりすぎている「咳過敏」の状態であり、そこに特化した調整(P2X3拮抗薬や神経修飾薬)が必要になります。
